都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

金子商店

2022-11-03 | 品川区  
金子商店
所在地:品川区 南大井1-9-7
構造・階数:木・2
建設年:
解体年:2018〜19(平成30〜31)
Photo 2006.10.9

 旧東海道沿いに建っていた2軒続きの銅板張り店舗。右側(北側)は半円型の壁を立ち上げて切妻屋根の妻面を隠している。一方、左側(南側)は切妻屋根の断面を銅板?で覆い、屋根の形をそのまま見せている。

 1階の扉や欄間のデザインは共通。北側の方が間口が広く、柱間はやや大きかったようだ。

 北側の窓には雨戸があり戸袋は七宝文様で手が込んでいた。コーナー部にも装飾柱が載っていたが、北側の角は脱落していた。

 南側は、2階の窓が左右同じなのにも関わらず、なぜか庇が違い棚にのようになっていたのが興味深かった。

 2005年の住宅地図では「橋本商店」と記されている。一時期、別のお店になっていたのだろうか。写真の頃は仕舞屋となっており、その後、2018〜19年に建て替えられた。

旧金子商店 品川区南大井 - 東京ノスタルジア
金子商店/南大井1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 品川区  #看板建築  #銅板張り看板建築  #旧東海道 
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原美術館(原邸)

2022-01-06 | 品川区  
原美術館(原邸)
所在地:品川区 北品川4-7-25
構造・階数:RC・3
設計 :渡辺仁
建設年:1938(昭和13)
解体年:2021(令和3)
備考 :美術館は1979(昭和54)開館
Photo 2017.2.16

 原美術館一帯は明治・大正期の実業家の原六郎が購入した土地。その一角に養子の原邦造が1938(昭和13)に自邸として建設したのが、後に原美術館となった建物。設計の渡辺仁(1887〜1973)は、銀座の和光、有楽町の第一生命館、横浜のホテルニューグランドなどの設計でも知られる建築家。
 戦後の一時期はGHQに接収され米軍将校の宿舎となった。接収解除後は外務省公館、フィリピン大使館、セイロン(現 スリランカ)大使館になったが、その後は10年以上使われなかったという。
 そして原邦造の孫である原俊夫が、1979年にこの私邸を現代美術専門の原美術館とした。

 L字型平面の建物は、最初からそうするつもりだったのではないかと思うぐらい美術館に合ったデザインだったように思う。門を入ってアプローチの道を行くと車寄せ。水平なスラブが突き出しているだけの比較的シンプルな姿がモダン。先端側の支柱は板状で縞々の石材?の模様がきれい。

 西側は平屋、弧を描いた南側は2階建てで、部分的に3階建てになっている。屋上の一部にはコンクリート製のフレームもあり、玄関付近から見るとそれらが立体的に重なり、さまざまな様相を見せている。


 Photo 2013.9.29

 玄関南側の壁面には細めの柵が付いた小窓が田の字型に並ぶ。


 弧を描いた南側壁面 Photo 1989.4.7

 やや大きな四角い窓が並ぶ姿もモダン。奥の方で張り出しているのはサンルームとかだったのだろうか。


 中庭側の様子  Photo 1989.4.7

 当初はカフェテラスも小さく、写真右手の壁面には撤去された部分の痕跡も見えていたりした。その後、カフェテラスは増築され右手の壁面もきれいにされた。閉館直前の頃の様子は下記リンク先の記事で見ることができる。


 屋上から Photo 1989.4.7

 2階の屋上に出られるのも魅力的だった。なにかができるわけではない。現代美術の作品がなにげなく展示されているだけだったが、普通とは異なる視点から建物や庭を眺められ、開放感を味わえるのはシンプルに楽しかった。


 玄関 Photo 2013.9.29

 玄関扉は鉄製。立派な建物だったが過剰な装飾はなくモダンそのもの。


 階段室 Photo 1989.4.7

 滑らかな曲面の白壁に黒い石材の側壁がコントラストを成しており、緩やかな曲線を描いて上に伸びる手摺や間接照明が美しい。


 敷地入口の門 Photo 2017.2.16

 門も比較的簡素な造り。塀は日本瓦が載った白壁で、ここは和風の雰囲気だった。


 敷地外周の塀 Photo 2013.9.29

 原六郎邸は戦後は分割されて縮小したようだが、原美術館の敷地はそれでもかなり広く、西側の道には塀が長く連なっていた。

 約40年間現代美術の拠点となっていた原美術館だったが、建物の老朽化とバリアフリーへの対応が困難だったため、2021年1月に閉館。その後、残念ながら解体された。

惜しまれつつ閉館した原美術館 その知られざる歴史とこれから - TOKION
原美術館 - Wikipedia原六郎 - Wikipedia原俊夫 - Wikipedia
渡辺仁 - Wikipedia

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#失われた建物 品川区  #モダニズム  #近代建築  #住宅系  #戸建て住宅 
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第一三共(株)品川研究開発センター(旧 三共品川工場)本館

2021-12-27 | 品川区  
第一三共(株)品川研究開発センター(旧 三共品川工場)本館
所在地:品川区 広町1-2
構造・階数:RC・3
建設年:1932(昭和7)
解体年:2016(平成28)
Photo 2013.9.29

 三共株式会社の品川工場本館だった建物(品川工場じたいは1908(明治41)年に開設)。
 住宅地図で見ると、ロの字型をした建物だったようだ。シンメトリーなデザインで中央に玄関があり、そこだけは縦長窓と角形の細い付柱が並んで少し象徴的になっていた。しかし全体としては装飾はなく、軒庇が出て窓台も少し出ているだけの、モダニズムデザインの工場建築だった。

 東海道新幹線の車窓から古そうな工場建築がちらっと見えて気になっていたので、歩いて近くまで行ったこともある。だが、目黒川越しに見ると桜並木があり、歩道橋から見ても全景はあまり見えなかった。結局、新幹線から撮ったこの写真が、最もよく全景が納まったものだった。

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同潤会荏原普通住宅

2020-03-26 | 品川区  
同潤会荏原普通住宅
所在地:品川区 中延2-3
構造・階数:木・2F
建築年:1924〜25(大正13〜14)
解体年:2017(平成29)
備考 :1935(昭和10)に住宅営団が増築、1950(昭和25)に払い下げ
    2019(平成31)、跡地にアトラス品川中延が竣工
Photo 2016.1.28

 中延小学校南側の一角に残っていた同潤会荏原普通住宅。

 建設当初は現在の中延1-9と10、2-4、そして2-5の一部にも住宅群が建てられていたそうだ。これらの街区は戦災で焼失したため、戦後は街区内の道路や建物の配置も変わっていた。

 一方、中延2-3のほうは戦災では被災しなかったため、街区がそのまま残り、関東大震災後に建てられた当初の建物をベースにした住宅群が建ち並んでいた。

 そして、かなりの増改築がされてはいたが、他の同潤会住宅地でも見たことがある建物と似た形のものがここにもいくつか残されていた。


 南側の街区東端の家屋

 小さく細い切妻2階の姿は、他の同潤会住宅地でも見られるものだ。1階に比べて2階がスリムな凸型の立面は、普通の長屋ではあまり見られないので、これも同潤会住宅をベースにしたものだったのだろう。

 なぜこういう型式にしたのかはよく知らないが、同潤会住宅を特徴付けているデザインの一つだ。軒先に傾斜の緩やかな庇が付いていれば、ほぼ完璧に同潤会住宅という感じだが、この地区の建物はそうはなっていなかった。

 住宅地内部の路地から。前写真同様、電柱左奥の2階部分も細い切妻屋根になっている。住宅地内のこの小街区は奥へ向かって長いもの。2階の小さな切妻屋根は奥へ向かって延びている。写真中央の玄関がある部分は後付けかもしれない。

 撮影場所は住宅地内の極めて小さな四つ辻。電柱の向こう側、玄関前は左へ抜けられる。また写真右手にも細い路地がつながっている。

 他の同潤会住宅地とかなり違っていたのは、猛烈に建物密度が高かったことだ。赤羽西の同潤会住宅地にも狭い路地があるが、そこよりも更にせせこましい感じだった。

 当初は敷地内に空地を少しあけて建てられたが、払い下げられた後、皆が思い思いに増築していったため、空地が路地部分しかなくなってしまったのかもしれない。

 最期の頃には廃墟化した家屋も一部に見られた。皮肉なことに、廃墟化したものが最も当初の姿というかプロポーションを残していたようだった。

 同潤会荏原普通住宅の一連の建物群は、この写真を撮った翌年の2017(平成29)に取り壊され、跡地には13階建てマンション(195戸)が竣工した。周辺地域の中では規模の大きなマンションだが、敷地の大きさは80m四方程度で、コの字型の建物一棟になっている。狭い路地が複数あって、多くの家屋があった場所がマンション一棟になったのには驚かされた。たしかにかなり狭く密度が高い住宅地だったが、それがマンション一棟分の広さだったとは。

同潤会による品川区中延二丁目の木造長屋群がいよいよ建替えへ
   | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

同潤会の木造普通住宅団地
同潤会 - Wikipedia

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飯野装芸

2020-03-04 | 品川区  
飯野装芸
所在地:品川区 大井5-21
構造・階数:木・3F
解体年:2017(平成29)
Photo 2017.3.1

 池上通りに面して建っていた木造モルタル3階建て。大森駅前を通る幹線道路沿いだが、こんな洋風建物がまだ残っているのかと思わされた建物。この時点で営業していなかったようだったのでどうなるのかと思っていたが、この後、半年足らずのうちに解体されてしまった(Googleストリートビュー、2017年9月時点で既に解体済み)。

 細い道の角地に建っており、池上通り側がメインの入口。そして右手の小路の側にも勝手口があった。3階は増築したようにも見え、この3階左側は寄棟造りの瓦屋根だった。また、3階右側はバルコニー。

 南側に隣接する2階建ても、傷んではいるが木造モルタル看板建築。


 コーナー部分

 北側には銅板葺き庇屋根のベイウィンドウがあり、アクセントになっていた。

 正面玄関は引き違い戸。窓や扉は大半が木製でアルミサッシなどには交換されていなかった。大きなガラス戸が印象的。

 ここの上げ下げ窓だけはアルミサッシに替えられていたが、歩道側からの目隠し?は残されていた。


 細道側の入口

 水跳ねで濡れて下部に苔が生え、一部腐ってしまっていたが、それも部外者にとっては味わいのある表情に見えていた。

 角に垂れ下がってるチェーンはなんだったのだろう。接地していなかったので避雷針とかアースではないようだった。また、軒からのものでもないので、雨水をつたわせるチェーンでもなさそうで、用途が分からずじまいだった。


2022.12.21追記
 1973年版の住宅地図では「装雅堂」、1985年版では(有)飯野工芸と記されている。この地域は戦後版の火災保険特殊地図は版がないようなので、その頃の状況は不明。またこの建物がその頃のものなのか、もっと古い戦前期のものなのかも不明。なお、1938(昭和13)年発行の火災保険特殊地図では「鈴木米屋」と記されているが、それがこの建物かどうかも不明。

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戸越銀座商店街そばのモルタル看板建築

2020-02-28 | 品川区  

戸越銀座商店街そばの木造モルタル看板建築
所在地:品川区戸越2−5
構造・階数:木・2F
解体年:2016〜17
Photo 2016.1.14

 戸越銀座商店街から南へ入った道沿いにあった、木造モルタル洗い出し仕上げの看板建築。戸袋が赤く、上下の壁には赤い縦縞が入っており、写真では良く見えないが軒先にもレリーフがあった。

 2017.9のGoogleストリートビューでは既に消失していて、コインパーキングになっている。


戸越銀座商店街わきの木造モルタル看板建築
所在地:品川区戸越1−16
構造・階数:木・2F
Photo 2016.1.14

 一方、こちらは戸越銀座商店街の道の北側にあり、商店街に南面している建物。

 上の建物より間口は大きいが、戸袋の色や塗り方が似ていたり、間隔は異なるが壁面に赤い縦縞を入れている点、軒先にレリーフがある点など、似たデザインになっている。もしかすると、同じ持ち主だったか、デザイン・建設した業者が同じだったのかもしれないと思わせる代物。

 こちらの建物は2019.6のGoogleストリートビューにも写っており、この時点では健在。ただ、近年の画像ではシャッターがいつも閉まっているようで、使われているか空き家なのかなどは不明。

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#失われた建物 品川区  #古い建物 品川区  #商業系 
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JR東日本大井町社宅(旧国鉄広町アパート)

2018-07-05 | 品川区  
JR東日本大井町社宅(旧国鉄広町アパート)
所在地:品川区広町2-1
構造・階数:RC造、12F、6棟
建設年:1966(昭和41)
備考 :2017(平成29)解体
Photo 2011.3.26

 大井町駅の北西側にあったJR東日本広町社宅(旧国鉄広町アパート)。12階建ての共同住宅が6棟建っていた。1フロアあたり10世帯だったそうで、12×10×6で、約720世帯が住んでいたという。


 Photo 2011.3.26


 Photo 2011.3.26

 耐震性の不足とかで住人が全て退去したそうで、2016年に訪れた際には既に無人化しており、しばらく放置されていた。

 2014年頃までは普通に使われており、外観上は老朽化感があまりなかったので、無人化してひっそりしているのはかなり異様だった。


 Photo 2016.2.8

 その後、2017年に一連の建物は解体された。
 今年8月には、JR東日本が経営する複合スポーツエンターテインメント施設「スポル品川大井町」がオープンする予定という。ただこれも2021年までの期間限定とのことで、ほとんどの施設は仮設的なもの。その後どうなるかは未発表のようだ。

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東屋質店の蔵

2018-03-11 | 品川区  
東屋質店の蔵
所在地:品川区 北品川2−3
階数 :3F
備考 :2009.11〜2011.5に解体
Photo 2006.3.11

 旧東海道品川宿の通りから法禅寺へ至る参道沿いにあった質屋の蔵。写真左端にわずかに店舗が写っている。

 建設年代や構造は不明。陸屋根のようだし質屋さんの蔵なので、RC造だったのかもしれないが、木造モルタルのようにも見える。蔵なので窓はほとんどないが、換気窓の様子からすると内部は3層になっていたのだろう。

 軒先にコーニスやフリーズのような装飾がわずかにあり、質屋の蔵という和風の用途の建物に、西洋風のデザインが折衷的に混在している。

 Google Street Viewほかで確認したところ、2009.11〜2011.5に店舗と共に解体されたようだ。跡地は現在、コインパーキングになっている。

 蔵はなくなったが店舗の方は旧東海道沿いの北品川2−7にあり、現在も営業している。

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旧杉本商店

2017-03-25 | 品川区  
旧杉本商店
所在地:品川区南品川1-8
構造・階数:木・2
建設年:大正末〜戦前?
解体年:2014(平成26)
Photo 2006.9.24

 旧東海道、品川宿の交差点に面して建っていた銅板張り2階建て町屋。面が取られ、2階部分が全て銅板張りで印象的な姿を見せていたが、2014年秋に残念ながら解体された。

 少し離れた所から見ると、上部に瓦屋根が見えており、木造家屋の通りに面した部分に銅板張りの壁を建てて、洋風に見えるようにしていたことが分かる。


 Photo 2006.9.24

 わきにまわってみると、寄棟の2階屋が接続している建物だった。全体を銅板張り看板建築にはせず、角地の恐らく店舗だった部分だけを洋風に設えた建物になっていた。


 Photo 2011.5.15


2022.12.30追記
 1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図では「杉本 茶のり店」と記されている。その後、いつ頃まで店を営業していたかは未把握。

菅沼書店、杉本商店/南品川1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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東京都交通局目黒自動車営業所

2011-04-10 | 品川区  
東京都交通局目黒自動車営業所
所在地:品川区上大崎3-1
建設年:1935(昭和10)
構造・階数:RC・2F
2008年頃解体
Photo 2008.5.28

 Wikipediaで都営バスについて調べてみたら、最後の頃のおよその移り変わりが判った。

Wikipedia > 都営バス

2000年12月 営業所から支所に降格。
2003年04月 目黒支所は品川営業所の分駐所となる。
2005年03月 目黒分駐所廃止。目黒の路線は品川営業所に、車両はほぼ全車両が港南支所に転属した。
2008年後半 取り壊し。現在は駐車場。同所でマンション建設が予定されている模様。

 2000年頃から、都バスは路線や営業所の配置などの見直しを進めているそうだ。地下鉄が開通したりして乗客が減ったことも関係があるようだ。駅前の一等地にあったこの営業所もどんどん格下げされて、最終的には無くなってしまった。


 目黒分駐所の廃止以後、敷地・建物は使われておらず、長い間、人の気配がない状態が続いていた。

事務所の南側にあった車庫

 写真には関係者と思われる数人の人が偶然写り込んでいる。がらんとしたバスの車庫を前にして、いろいろ話しているようだった。建物の除却についてや、駐車場への暫定利用について話していたか、更にその後の開発についても話していたのだろうか。この人たちを見た瞬間、あ、これはなくなるなと思った。そして半年も経たないうちにやはり無くなってしまった。


 西南側から見た営業所オフィス。2階は乗員の控え室とか仮眠室だったのだろうか。車庫側から直接出入りする階段が付いていた。

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2011.4.14 追記
 その後、別件の作業中にこの場所の再開発計画について知る機会があった。旧都バス営業所だけでなく、周辺も合わせて、オフィス棟と住居棟(共に41F)のツインタワーと、38Fの住居棟、計3棟の超高層ビルを建てるんだそうだ。うへぇ。

東京都環境局 環境アセスメント(仮称)目黒駅前地区第一種市街地再開発事業
品川経済新聞 - 目黒駅前の再開発計画事業者が決定、2014年度完成の見通しに
品川経済新聞 - 目黒駅前41階・38階高層ビル建設の住民説明会-「風害心配」の声も
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